追放剣士の再起録
追放命令
白い石を積んだ騎士団本部の大広間は、午前の光を冷たく反射していた。
高い天井には帝国の金獅子旗。剣を帯びた者たちが半円を描いて立ち、その中心にレオンだけが一人、板張りの床に靴音を響かせていた。
「第三補給隊護衛任務において、損耗三割。護送荷の半数喪失。さらに、隊列を乱し、撤退命令を無視したとして報告あり」
読み上げる声は淡々としていた。だが、その淡々さが、すでに結論を決めていると告げていた。机の上には封蝋の割れた報告書が三通。筆跡は整いすぎていて、血の匂いがしなかった。
レオンは視線を上げた。
「その報告は違います。退路を塞いだのは魔獣です。荷車の横を抜けた影を見て、俺は前に出た。そこで誰かが命令を変えたはずだ」
「証言は取れている」
老齢の騎士が、眉一つ動かさずに言った。
「お前の部下は、お前が勝手に突出したと述べている」
嘘だ、と叫ぶのは簡単だった。だが広間の端に並ぶ顔の幾つかが、すでに何を知っているかを、レオンは見てしまっていた。目を逸らす者。唇を結ぶ者。誰も、剣を抜いた仲間のことではなく、今ここで誰が切り捨てられるかだけを見ている。
あの夜を、レオンは忘れていない。
北の街道。霧。馬車の車輪を裂く爪。荷台を守るために、彼は先頭に立った。魔力を刃に乗せ、横薙ぎに一頭を断ち、次の一撃で飛びかかってきた影を弾き返した。だが、背後で鳴った退却の角笛は一度しかなく、その後に続いたはずの援軍は来なかった。来なかったのではない。来る前に、誰かが引き返したのだ。
その誰かの名は、ここに書かれていない。
書かれていないものは、最初から存在しないことになる。
「俺は守るべきものを守った」
静かにそう告げると、広間の空気がわずかに揺れた。
「だが、守れなかった荷は失われ、隊は崩れた。責任を問うなら、俺だけでは足りないはずだ」
答えはなかった。
代わりに、書記官の羽ペンが紙を擦る音がした。まるで、誰かの命運を乾いた指先でなぞっているみたいに。
「レオン」
司令席の男が、ようやく口を開いた。冷え切った声だった。
「お前は本日付で騎士籍を剥奪する。以後、帝国騎士団におけるすべての権限を失う。なお、再審の請願は却下された」
「……証拠もないままにか」
「十分だ。中央の判断に疑義を挟むな」
中央。
その一言だけで、すべてがわかった。
ここでは真実より、体面が重い。失われた荷より、失われた面子のほうが大事なのだ。誰か一人を悪者にしてしまえば、帳簿は整い、責任は閉じられ、明日の朝には何事もなかった顔で鐘が鳴る。
レオンは胸の奥で、何かが静かに折れる音を聞いた。
けれど、それは剣ではなかった。
「剣を置け」
老齢の騎士が命じた。
「その身分にふさわしくない」
レオンは腰の鞘に手を置いた。抜けば、この場を裂くことはできる。だが、それでは本当に終わる。剣は怒りを晴らすためにあるのではない。守れなかったものの代わりに、次を守るためにある。そう思った瞬間、彼の指先から無駄な力が抜けた。
ゆっくりと、レオンは剣を外した。
床に放り投げることはしなかった。両手で持ち、鞘ごと前へ置く。その動作だけは、誰にも奪わせたくなかった。剣はまだ死んでいない。自分が諦めない限り、この刃はただの鉄には戻らない。
「これは置いていく。だが、捨てはしない」
「負け惜しみか」
「違う」
レオンは顔を上げた。
怒りはあった。屈辱もあった。だが、それらの奥に、もっと熱いものが残っていた。
自分はまだ終わっていない。ここで切り捨てられても、剣を握る理由まで奪われたわけではない。守るべき誰かがいるなら、立つ場所はまた作れる。そう思えたとき、胸の底に沈んでいた灰の中から、ひとつだけ赤い火種が生まれた。
「転属命令を読み上げろ」
司令席の男が言った。
書記官が紙を取り上げる。封蝋には帝国の大印。そこに記された地名を見た瞬間、広間の空気がさらに重くなった。
「帝国辺境要塞都市ヴェルド」
乾いた声が告げる。
「即日出立。以後、第一線防衛任務に就け」
辺境。
魔獣と盗賊が常に牙を剥き、補給線が切れれば一夜で死者が出る、帝国の果て。
処刑ではない。だが、ほとんどそれに近い。
レオンは剣を取り上げると、柄を確かめるように一度だけ握り直した。
外は眩しいほどの昼だった。白い石壁の向こうで、都は何事もないように呼吸している。その平穏を守るために、誰かが泥をかぶる。ならば、次は泥の中で剣を振るえばいい。
彼は踵を返した。
背後で誰かが何か言った気がしたが、もう振り向かなかった。
扉の先に待つのが追放であろうと、再起であろうと、今のレオンには一つだけわかっていた。
剣は、まだ終わっていない。
帝国辺境要塞都市ヴェルド
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