扉を割る金具の悲鳴が、記録庫の静寂を引き裂いた。レオンは反射で身を沈め、飛び込んできた短槍を剣の腹で受け流す。紙束が宙を舞い、インクの匂いと、焦げた油の匂いが混じった。 「右に二人、奥に一人」  アリアの短い指示が飛ぶ。  ガルドが通路を塞ぎ、真正面から突っ込んでくる男を腕力だけで弾き返した。ミオは震えながらも床に散らばった帳票をかき集め、破れた端を胸に抱える。レオンは一歩踏み込み、相手の手首と膝だけを正確に叩いた。殺すためではない。証拠を焼かせないためだ。  襲撃者のひとりが逃げ切れずに膝をつく。外套の内側から落ちた封筒を、アリアが素早く拾い上げた。封蝋は深い黒。灯りの下で押された紋様を見た瞬間、彼女の目が細くなる。 「……帝都の監察印ね」 「誰のだ」 「監察官ローヴァン。中央貴族の一人で、補給と査察を握る男よ」  その名を聞いた瞬間、レオンの胸の奥で、古い痛みが鈍く鳴った。追放の裁定が下された夜、剣を取り上げられたときに見た、冷え切った公印。あれと同じ匂いがする。個人の悪意ではない。もっと大きく、もっと冷たい、権力そのものの匂いだった。  ミオが破れた帳票の断片を灯りにかざす。そこに残っていた末端の文字を、かすれた声で読む。 「……補給記録、要再編。現地の異議は黙殺」  そこで言葉が途切れた。紙の端に、薄く削られた押印跡がある。切り取られた先に、何か決定的な文言があったのだと分かる。だが、今ある断片だけでも十分だった。  誰かが、帳簿を整えるために人を黙らせている。  誰かが、辺境の兵の飯と薬と矢を、数字に変えて抜いている。 「レオン」  アリアが封筒を差し出した。 「これ、現場に届いた正式な文書よ。わざと見せるつもりだったのか、それとも隠しきれなかったのかは分からない。でも、ローヴァンは確かにここまで手を伸ばしている」  レオンは封筒を受け取った。紙の重さではない。人ひとりを追放し、要塞ひとつを飢えさせるだけの重さが、その薄い一枚に宿っている気がした。  そのとき、外の回廊に遠い足音が響いた。武装した追手ではない。息を切らせた伝令だった。若い兵は門番に追い返されるより先に、震える手で一通の封書を差し出す。 「ヴェルド要塞司令代理へ。帝都より、臨時査察の予告です」  アリアが受け取る。封蝋は、つい先ほど見たものと同じ黒だった。  封を切る音が、やけに大きく響く。  文面は簡潔だった。監察官ローヴァン、三日後に要塞入り。補給記録、兵力台帳、倉庫の実地確認を命ずる。関係者は一切の改竄を禁ずる。  予告という形をした圧力。見つかったことを察した相手が、先に刃を抜いたのだと、全員が理解した。 「来るわね」  アリアが低く言う。 「向こうも、こっちが気づいたと分かったってことだ」  ガルドが拳を鳴らし、ミオは不安そうに息を呑んだ。それでも逃げ腰ではない。レオンの隣に立つという選択を、もう身体が覚えている。  レオンは封書の黒い印を見下ろし、ゆっくりと剣の柄へ手を置いた。  追放の裏にいた名は、ようやく手の届く場所に現れた。  だが、それは始まりにすぎない。ローヴァンが要塞に入れば、補給の嘘も、帳簿の闇も、誰かの口封じも、すべてが動き出す。  レオンは仲間たちを見た。ひとりで復讐する目ではない。誰かを守るために、もう一度立ち上がる剣士の目だった。 「三日だ」  その声に、誰も異論を挟まなかった。  要塞の上空で夕暮れの鐘が鳴る。静かな音だった。けれどその静けさの底で、ローヴァンの査察予告は、すでに要塞の喉元に刃を当てていた。

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