追放剣士の再起録
再戦
朝霧が、旧訓練場の白墨の円を湿らせていた。
まだ日が上り切らない石畳の上に、兵たちの吐息が白く漂う。見物人は少なくない。門番、修理兵、厨房の女衆、傭兵たち。昨夜から眠れなかった者たちが、皆この一戦の行方を見届けようとしていた。
円の中央で、レオンは剣を抜いたまま息を整えた。正面のセルヴァンは、朝靄の中でもなお整いすぎて見えた。鎧の隙間ひとつ、指先の震えひとつない。剣を持つために生まれたとでも言いたげな、その静けさが腹立たしい。
「準備はいいか、追放者」
「とっくに」
「なら始めよう。お前がここで積み上げたものが、本物かどうかを見せろ」
最初の一太刀で、空気が裂けた。セルヴァンの剣は細く、重く、速い。魔力を刃に乗せた軌跡が、まるで白い線となってレオンの喉元へ伸びる。受けるたび、腕の骨にまで痺れが走った。追放の日に叩き潰された記憶が、鈍い痛みと一緒に蘇る。
あの時の自分なら、ここで目を逸らしていただろう。
そう思った瞬間、レオンは奥歯を噛みしめた。
背後に、守るべき者たちがいる。
アリアは腕を組んで見ていた。ミオは胸の前で両手を握り、ガルドは笑うのを堪えるように息を吐いている。逃げる理由は、もうどこにもない。
レオンは一歩退いた。いや、退くのではない。踏み込みの角度をずらしただけだ。セルヴァンの剣先が空を切る。そのわずかな隙に、レオンは刃を返し、相手の手首を狙う。金属が火花を散らし、セルヴァンの眉がほんの少しだけ動いた。
「今のを避けるか」
「避けるさ。お前の剣は、強いだけじゃ俺を折れない」
その言葉は、口にした瞬間に自分へ返ってきた。
強いだけでは折れない。守るために振るう剣は、ただ速いだけの剣よりも、ずっと重い。
レオンは剣先に魔力を流し込んだ。刃が淡く鳴る。次の瞬間、彼は攻めに転じた。左から右へ、上から下へと流れるように剣筋を繋ぐ。セルヴァンの守りは崩れない。それでも、今度は押し返されるだけではなかった。受けて、外して、また受ける。そのたびに、レオンの足は半歩ずつ前へ出る。
見物人の息が止まる。
白墨の円の中央から、いつの間にかセルヴァンがわずかに追い込まれていた。
セルヴァンが舌打ちをひとつ落とし、初めて本気で踏み込んだ。剣圧が一段重くなる。目の前に降り注ぐ切っ先を、レオンは真正面から受け止めない。肩を沈め、刃を滑らせ、相手の重心が乗り切る瞬間を待つ。そこで初めて、逆袈裟に刃を返した。
布が裂けた音がした。
セルヴァンの外套の袖が、細く切れ落ちる。頬に赤い線が走る。
ざわ、と空気が揺れた。
レオンはその刃を、さらに半寸だけ引いた。勝てるからではない。勝ち方を選べるようになったからだ。
セルヴァンは傷口に目をやり、ゆっくりと笑った。
「……追放の日とは違うな」
「そうだ」
レオンの息は荒い。だが、剣はもう震えていなかった。
「今の俺は、ひとりで折れない」
その一言が、胸の奥で何かを静かに噛み合わせた。
勝つことより、守ること。
相手をねじ伏せることより、次の一手を生むこと。
剣とは、自分の誇りを飾るものではなく、誰かの明日へ道を開くものなのだと、ようやく骨の底で理解した。
レオンは一気に踏み込んだ。
セルヴァンが重い一閃を振り下ろす。以前のレオンなら、受けきれずに膝をついていただろう。だが今は違う。刃が触れる寸前、レオンは半身を捻り、剣身を斜めに受け流した。衝撃は肩を砕かんばかりだったが、体は前へ進んでいた。
そして、喉元。
レオンの剣先が、セルヴァンの喉の皮一枚手前で止まる。
円の外が静まり返った。
ミオが小さく息を呑み、ガルドが低く笑った。アリアは目を細め、ほんのわずかに口元を緩めている。
「……勝ちだ、レオン」
セルヴァンは首筋にあてられた刃を見下ろしながら、淡々と言った。
「お前は、やっと剣士として立った」
レオンは剣を下ろさないまま、乱れた呼吸を整えた。勝ったという実感より先に、身体の内側が静かに満ちていく。追放され、見下され、居場所を失ったあの日から、初めて自分の足で立てている気がした。
だが、セルヴァンの目はまだ死んでいなかった。
むしろ、勝敗がついたことで、ようやく本音を口にできるとでもいうように、薄い笑みを浮かべている。
「だがな、レオン。お前は一つ勘違いしている」
「何だ」
「俺は、お前を倒しに来たんじゃない。ローヴァンが欲しかったのは、お前の首でも、この砦の降伏でもない」
セルヴァンはゆっくりと視線を上げた。
その先には、訓練場の外壁。さらに向こう、朝焼けに霞む監視塔がある。
「奴が欲しいのは、ヴェルドを『反逆の砦』にする口実だ。お前を公開の場で叩き潰し、査察報告と補給帳簿を揃えれば、中央は『危険な要塞』として補給も権限も丸ごと奪える」
「……何だと」
「だから、ここから先は早い。お前が勝った今、ローヴァンはもう迷わない」
その瞬間、外壁の向こうから甲高い鐘が鳴った。
続いて、一本の赤い狼煙が、まっすぐ空へ立ち上る。
アリアの顔から、さっと血の気が引いた。
セルヴァンは剣を収め、まるで宣告するように言った。
「総攻撃だ、レオン」
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