追放剣士の再起録
反撃の狼煙
崩落の音は、敗北の音に似ていた。石が砕け、粉塵が舞い、内側へ流れ込んだ冷気が兵たちの頬を打つ。誰かが息を呑み、誰かが膝をつく。敵はその隙を見逃さず、歓声を上げながら崩れた壁へ殺到してきた。
だが、アリアの声は崩れなかった。
「壊れた場所を塞ぐな。門に変える。あそこを通すな、あそこで殺す」
一瞬で、要塞の空気が変わった。崩落口は穴ではない。敵の勢いを絞り込む、細い首だ。重い衝角も、整った盾列も、瓦礫の前では身動きが鈍る。押し寄せる数が多いほど、そこは血の詰まりになる。
レオンは立ち上がった。追放されたあの日、背中にあったのは冷たい沈黙だけだった。今は違う。怯えながらも逃げない仲間たちの気配が、剣の重みを確かにしてくれる。
「ガルド、右を押さえろ。盾の列を割る」
「任せろ、坊主!」
大斧が唸り、瓦礫の先頭で踏み込んだ敵兵が弾き飛ばされた。生じた隙へレオンの剣が滑り込む。魔力を刃に乗せた一閃が盾の縁を裂き、後ろの兵の視界を開く。そこへ矢が落ちた。弓兵の射線はアリアの指示で一斉に変わり、崩落口に詰まった敵だけを正確に削る。
「下がるな! 一列ずつ、押し返せ!」
声は怒号にかき消されかけても、命令として届いた。完璧な者などいない。だが、誰も独りではなかった。剣、盾、矢、治療。ばらばらだった力が、ひとつの呼吸になっていく。
レオンは瓦礫を駆け上がり、崩れた壁の向こうで号令を飛ばしている男を見つけた。赤い監察印のついた胸甲。帝都から来た指揮官だ。高台に残ったまま拡声管を抱え、部下を前へ突き出している。
「辺境の壁ひとつ潰せば終わりだ。使い潰して前へ出ろ」
その声を聞いた瞬間、レオンの奥で何かが冷えた。使い潰す。あの日、自分に向けられた言葉と同じだった。セルヴァンの剣は、正面から相手を斬り伏せる。だがローヴァンの腐り切ったやり方は違う。人を帳面で削り、命を札のように切り捨てる。ならば、断つべきは刃先ではなく、その流れだ。
「お前たちは、誰の命令で死ぬ?」
レオンが瓦礫を蹴って跳ぶと、敵兵の間に風が裂けた。拡声管を支える伝令の喉を剣が掠め、旗竿が折れる。号令が途切れた。たったそれだけで、前進していた隊列は足を止める。そこへガルドの大斧が振り下ろされ、崩れた壁片ごと盾を砕いた。
敵指揮官が歯噛みした。
「たかが一人の剣士が!」
「一人じゃない」
レオンは息を荒げながら答える。「ここには、守る者がいる」
その時、崩落口の脇から一人の若い斥候がよろめいて飛び込んできた。肩口から血を流し、膝を震わせている。ミオが後方から追いかけ、血に濡れた包帯を握ったまま叫んだ。
「それ、拾って! その兵の腰袋!」
怯えた声なのに、指示だけはやけに正確だった。レオンが腰袋を掴むと、石の上に封蝋のついた書状が転がり出た。監察局の紋章。さらに折れた帳面には、補給の遅延、損耗の改ざん、砦側へ責任を押しつけるための記録が並んでいる。
アリアがそれを奪うように受け取り、目を走らせた。薄い唇が、ほんのわずかに強張る。
「……やはり、そういうことか」
「何がだ」
「補給を止めた命令の写しよ。査察も戦果の報告も、最初から現場を潰すための札だった。これなら、口先では逃げられない」
レオンは書状の重みを感じた。剣より軽く、それでいて剣より鋭い。これがあれば、ローヴァンの言い訳は崩せる。足りなかった補給も、ねじ曲げられた査察も、追放の理屈も、すべてが裏返る。
「砦を守るだけじゃ、足りない」
アリアは崩れた壁の上に立ち、遠く帝都のある方角を見た。
「ここを守りながら証拠を集める。証拠と公的記録が揃えば、帝都でも握り潰しきれない。私たちは、あの男を現場からではなく、中央から追い詰める」
ガルドが大斧を肩に担ぎ直し、笑った。
「いいじゃねえか。守りだけの砦なら退屈だった。反撃の方が、俺は性に合う」
ミオはまだ震えていたが、包帯を結ぶ手は止めなかった。
「……わたしも、証拠を運ぶ。傷の手当てなら、道中でもできるから」
その小さな声に、レオンは息を呑んだ。臆病だった少女が、逃げる代わりに役目を選んでいる。ここにいる誰もが、もう追い払われるだけの人間ではなかった。
レオンは書状の封を指先で撫でた。追放された時、自分は帝都に背を向けた。背を向けさせられたのだと思っていた。だが今なら分かる。背中を向ける場所だったからこそ、そこはまだ終わっていない。
「帝都へ行く」
言葉にした瞬間、迷いは消えた。
「この真実を持って、あの腐った仕組みを斬る。ヴェルドで止まるものじゃない。始末をつけるのは、向こうだ」
アリアは一度だけ目を閉じ、うなずいた。
「決まりね」
崩れた城壁の上に、新しい旗が立てられた。守るための旗ではない。ここから踏み出すための旗だ。
夕暮れの光を受けて、その布は燃えるように赤く揺れた。レオンは瓦礫の向こう、遠い帝都の方角を見据える。
敗色の中で見つけた一筋の勝ち筋は、もう狼煙になっていた。今度は、真実を運ぶための火だ。
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