追放剣士の再起録
帝都告発
帝都へ続く街道は、レオンにとって追放の匂いを思い出させる道だった。石畳の継ぎ目、補給馬車の鈍い軋み、検問兵の無機質な視線。あの日、背中を押し出すように見送った門の景色が、いまは逆向きに流れていく。だが、同じ道でも、戻る理由が違えば見えるものは変わる。
荷台の中央には鉄の箱が一つ。崩落口で拾った帳面の写し、補給停止を命じた書状、封蝋の残る命令の控え、そして若い斥候の証言を書き留めた紙が、幾重もの布に包まれていた。剣で守るには軽すぎる。けれど、これを失えば、あの夜に積み上げたものは跡形もなくなる。レオンは自分の剣より重いものを抱えている気がした。
「気を抜くな」
アリアが荷台の前で低く言った。街道の先を見据えたまま、声だけは静かだ。
「帝都は戦場より厄介よ。刃で切れば返される。記録で切るしかない」
レオンは頷いた。中央は敵の数で押してこない。手続きで、印章で、順序で人を追い詰める。ならばこちらも、剣だけでは届かない場所へ手を伸ばすしかない。
昼前、彼らは外郭の訴状受付所へ入った。高い石壁に囲まれた小さな庁舎は、帝都の喧噪から少し離れているくせに、空気だけは妙に冷たい。窓口の奥にいた老書記が、持ち込まれた帳面を一枚ずつ確かめた。割れた封蝋、重ねられた署名、供給表の食い違い。老いた指が紙の上を滑るたび、レオンの胸は硬くなった。
「……本物だな」
老書記が短く息を吐いた。
「偽るには、作りが雑すぎる。いや、雑ではないか。こちらを侮っている」
アリアが無言で書類束を差し出すと、老書記は一度だけ目を細めた。
「ここまで揃っていれば、受理はできる。だが、受理と裁きは違う。明朝の記録庫に写しを回し、外廷へ陳情札を出せ。そこまで通れば、向こうも無視しにくくなる」
「告発の場は取れるのか」
「取るのではない。通すのだ」
その言い方は、剣士の一振りより重かった。
老書記は証拠の写しに公印を押し、受理札をアリアへ渡した。紙片は薄いのに、手に乗せると妙に重い。レオンは自分の名が、帝都の紙面に記録された瞬間を見た気がした。追放された男の名前が、もう一度、制度の中に戻される。勝利とはまだ呼べない。だが、無視できない傷にはなった。
庁舎を出ると、アリアは受理札を懐にしまい、短く言った。
「これで明日、門前で追い返されても証拠は残る。半分は勝ったわ」
「半分で十分だ」
ガルドが肩で笑う。
「残り半分は、殴ってでも取る」
ミオはそれを聞いて、困ったように小さく笑った。だがその手つきはもう震えていない。彼女は証拠箱を包帯と薬草袋の間に隠し、誰かが触れればすぐ分かるように結び目を作り直した。
「……わたしが、見てる」
聞こえるかどうかの声だった。それでも、確かに届いた。
夕暮れ、彼らは外郭の安宿に身を寄せた。窓の外では帝都の塔が赤く染まり、石畳の路地には香の煙と馬糞の匂いが混じっている。美しい街だと、外から来た者はきっと思う。だが、レオンの目には違って見えた。光の届かない場所に、いくつもの口が開いている。そこへ落ちる者を、誰も見上げないまま踏みつける。そんな街だ。
「怖い?」
ミオが湯気の立つ杯を差し出しながら、小さく尋ねた。
レオンは一瞬だけ考えて、それから笑った。
「怖いさ。けど、もう逃げる怖さじゃない」
「なら、何の怖さ?」
「奪われる怖さだ。だから守る」
杯の温度が、指先から少しずつ胸へ落ちていく。アリアは机に広げた地図へ視線を落としたまま、明日の動きを指でなぞった。
「朝一で外廷。受理札がある以上、門前払いはしにくいはず。もし止められたら、私が記録官を呼ぶ」
「俺は前」
ガルドが指を鳴らす。
「ミオは後ろだ」
「……わ、わたし、後ろでいい」
「違う」
レオンは首を振った。
「後ろじゃない。お前は証拠を運ぶ役だ。みんな、それぞれの場所がある」
その言葉に、ミオは目を瞬かせた。ほんの少しだけ頬が赤くなる。自分の役目を誰かに決められるのではなく、自分が任される。その事実が、彼女の震えを支えているのが分かった。
夜が更けたころ、レオンは窓辺で剣の柄を撫でていた。帝都で再会するかもしれない男の顔が、脳裏をよぎる。セルヴァン。かつて剣で自分を折った、あの無表情な瞳。だが今夜、彼の名より重いものがあった。紙だ。印だ。記録だ。人が人を切るためにではなく、真実が嘘を切るための形。
そのとき、扉の向こうで、誰かが息を殺す気配がした。
「……アリア」
呼びかけるより早く、廊下の灯が一つ、ふっと消えた。
次の瞬間、板壁が内側から爆ぜた。黒布をまとった影が三つ、低い姿勢のまま部屋へ滑り込む。先頭の男が狙ったのはレオンではない。机でもない。ミオが抱え込む証拠箱だった。
「伏せろ!」
レオンが叫び、剣を抜く。刃が月明かりを弾いた。だが刺客の動きは速い。狙いは殺しではなく、奪取。一本の短剣が机上の封蝋へ伸び、もう一本がアリアの手元の受理札へ飛ぶ。
ガルドの大斧が横薙ぎに空気を裂いた。ひとり目の刺客が壁際へ叩きつけられ、木片が飛ぶ。だが次の瞬間、残る影が床を蹴った。レオンはその剣筋に、妙に整った冷たさを見た。無駄がない。斬るためではなく、要所だけを砕くための動きだ。
「証拠を、渡せ」
布越しの声は低く、よく通る。
「ここで終わりにしろ。お前たちには、帝都は早い」
レオンは一歩も退かなかった。追放されたあの日なら、きっと歯噛みして終わっていただろう。だが今は違う。背中には仲間がいる。守るべき紙がある。戻るべき場所がある。
「早いのはお前だ」
剣を構えたまま、レオンは言い返す。
「ここまで来た証拠を、そんな手で消せると思うな」
黒布の奥で、誰かが小さく笑った気配がした。次の刃が、証拠箱の封を正面から狙って迫る。
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