追放剣士の再起録
腐敗断罪
法廷の朝は、剣よりも冷たかった。
外廷第一法廷の大扉が開くと、白い石床に射し込んだ陽光が、氷の刃のように伸びた。レオンはその光の中へ、逃げるのではなく踏み込んだ。隣にはアリア、後ろにはミオとガルドがいる。追放された日にはなかった温度が、背中に確かにあった。
法官の杖が鳴り、ローヴァン監察官の罪状が読み上げられる。補給停止、査察報告の改竄、辺境への圧力、証人への脅迫。中央の席に並ぶ貴族たちの顔が、ひとつずつこわばっていく。ローヴァンだけが、薄い笑みを崩さない。まだ逃げ切れると信じている目だった。
最初に動いたのはアリアだった。ミオが抱えてきた証拠箱が開かれ、封の切られていない書類が法廷の中央に並べられる。補給路の停止命令、帳簿の写し、査察の原本、暗殺依頼を示す書簡。老書記が印影を照合し、ゆっくりと頷いた。
「照合一致。封蝋も、筆跡も、いずれも公印に相違ありません」
乾いた声が落ちた瞬間、ローヴァンの唇がわずかに引きつる。
「そんなもの、辺境の連中がいくらでも捏造できる」
「できません」
アリアは即答した。視線は冷たく、言葉は一切揺れない。
「記録の到着時刻、保管の受け渡し、封印の並び、すべてが繋がっています。これは偶然ではなく、命令です」
ローヴァンが怒鳴ろうとした、そのときだった。最後の一枚を見たセルヴァンの表情が、初めて崩れた。そこには、レオンを追放した理由を記した巡回報告と、彼自身の署名があった。
「……それは」
「お前の手だ、セルヴァン」
レオンの声は低かった。怒鳴りはしない。ただ、逃げ場を塞ぐ静けさだけがそこにあった。セルヴァンは顎を上げ、いつもの冷たい声を作る。
「お前を切り捨てたのは正しい判断だった。辺境で腐る剣に、帝国の秩序は任せられん」
「秩序?」
レオンは一歩だけ前へ出た。
「お前が守っていたのは、秩序じゃない。都合のいい上下関係だ」
セルヴァンの指が、鞘を滑った。法廷にいる全員がその音を聞いた。
「なら、剣で語れ」
抜き放たれた刃は、白い光を吸って冷たく輝いた。セルヴァンの剣筋は相変わらず美しかった。無駄のない直線、迷いのない殺意。だが、今のレオンは一歩も退かなかった。
背後にミオの息遣いがあり、ガルドの足音があり、アリアの視線があった。ひとりで剣を握っていた頃には知らなかった重さが、レオンの重心をまっすぐにした。魔力を乗せた刃が触れ合い、火花が白く散る。セルヴァンが踏み込み、レオンが半歩斜めにずれる。大理石の床、柱の影、光の角度。そのすべてが、辺境で何度も生き延びた剣に味方した。
かつてなら、あの一撃で視界が揺れていた。だが今は違う。レオンは相手の腕を受け流し、返しの一閃で体勢を崩す。セルヴァンの剣先が床を掠めた瞬間、レオンの柄頭が顎を打った。鋭い音が鳴り、刃が宙を舞う。
「終わりだ、セルヴァン」
床に落ちた剣を見下ろしたまま、レオンは剣先を止めた。刺せば終わる距離だった。けれど、もうその必要はなかった。セルヴァンの瞳から、剣士としての傲慢が剥がれ落ちていく。ようやく自分が、誰を追い落としてきたのかを理解した顔だった。
法官の声が続く。
「セルヴァン、虚偽報告と職務への加担を認定する。武装を解除し、身柄を拘束せよ」
兵が動き、セルヴァンは初めて言葉を失った。あの男がレオンの前に立つことは、もうない。
その一方で、ローヴァンは引きつった笑みを必死に保とうとしていた。
「違う。これは辺境の連中の――」
「黙れ」
法官の杖が石床を打った。
「ローヴァン監察官。補給停止命令の濫用、帳簿改竄、査察権の私物化、証人への圧力。すべて認定する。職を剥奪し、拘束せよ」
兵が動いた。ローヴァンはなおも喚いたが、今度は誰も耳を貸さない。中央の席に並んでいた者たちも、顔を伏せるばかりだった。公印と記録の前では、権力の色はただの薄紙にすぎない。
「やった……」
ミオが小さく漏らした声は、泣き声に近かった。ガルドが大きな肩を鳴らし、短く笑う。
「やっと腹の底が軽くなったな」
アリアは答えなかった。ただ、レオンの横顔を見て、ほんの少しだけ目を細めた。勝ったのだと、ようやく認めた目だった。
だが、法官の声はまだ終わっていない。
「レオン。お前の追放処分は再審に回す。正式な復帰と配属は、明朝の御前評議で決める。帝都に留まれ」
一瞬、空気が止まった。ローヴァンは断罪され、セルヴァンとの因縁も終わった。それでも、レオンの名に本当に剣の印が戻るのは、まだ夜明けの向こうだった。
コメント
まだコメントがありません