追放剣士の再起録
砦の契約
夜半の北塔は、石壁を抜ける風がやけに冷たかった。昨夜の戦いが終わっても、血と煤の匂いはまだ消えていない。レオンがアリアに促されて入った執務室には、補給帳と見取り図と封蝋の壺が並び、戦場とは違う種類の緊張が静かに満ちていた。
「ここで話す。誰にも聞かれない」
「ずいぶん慎重だな」
「慎重でなければ、この砦はとっくに食い荒らされている」
アリアは昨夜の外周防衛の記録を一枚抜き出し、レオンに差し出した。
「君を呼んだ理由は、剣が立つからじゃない。人が崩れる前に、崩れ方を見て動いたからだ」
「追放者を使うには、危うい賭けだ」
「古参はみな、誰かに借りがある。君は違う」
レオンは眉を寄せた。追放されて以来、彼に向けられる言葉は命令か侮蔑ばかりだった。だが、アリアの声には使い捨ての軽さがない。
「雇うんじゃない。責任を分ける」
アリアはそう言って、机の上に一枚の臨時協力契約書を置いた。
「外周の防衛、補給路の見回り、新兵の鍛錬。君にその権限を与える。中央は現場の功を軽く見るが、ここでは記録に残す。あとで誰かが君の働きを盗むことはできない」
「使い捨てじゃないだろうな」
「なら、契約書にする意味がない。私が欲しいのは、名札ではなく結果だ」
扉が開き、ガルドが腕を組んだまま顔を出した。
「本当にそいつを載せるのか」
「証人が必要だから呼んだ」
「紙は嫌いだが、昨夜の指揮は本物だった。俺は賛成だ」
続いてミオが、おずおずと書類の端を見つめる。
「わ、私も……レオンさんが前に出てくれなかったら、負傷兵の手当ては間に合いませんでした。ここにいてほしいです」
アリアは短くうなずき、役割を言い渡した。
「ガルドは遊撃。ミオは治癒と備品管理。レオンは外周と補給路、新兵の叩き込み。私が全体を見る。これで砦は一つで動ける」
レオンはその場で立ち尽くした。誰かの部下ではなく、ただの追放者でもない。役目を与えられ、名を記され、背負うべきものを渡される。彼はゆっくりとペンを取り、契約書に署名した。
アリアが封蝋に印を落とす。赤い蝋が静かに固まり、その瞬間、砦の空気が少しだけ変わった。
「これで君は、ヴェルドの臨時協力者だ」
「追放者じゃなくてか」
「ここでは役割で呼ぶ」
胸の奥に、乾いた痛みとは違う熱が灯る。居場所は、最初から与えられるものではないのかもしれない。だが、こうして一つずつ記録に残していけば、失われたはずの名前も、またここに根を張れる。
そのとき、扉が荒々しく叩かれた。
「司令代理、緊急です。補給路で荷車が襲われました。食糧と治療薬を積んだ三両です。盗賊団です」
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