追放剣士の再起録
旧友の手紙
朝焼けの前、詰所に届いた封書だけが妙に白かった。
レオンはそれを掌に載せたまま、しばらく動けなかった。封蝋の押し方が、古い記憶をひどく正確に呼び覚ます。乱暴で、少し傾いていて、それでも最後の一押しだけは不思議と迷いがない。
北塔で背中を預けた副官の癖だ。火の中に消えたはずの男の、あり得ないほど見慣れた筆跡だった。
「……誰の字だ」
ガルドが低く問う。
ミオは息を呑み、アリアは封蝋の端に指を当てた。
「少なくとも、急いで作った偽造ではない。書いた者の癖が残っている」
「生きてるってことか?」
「そこまでは言わない」
アリアは淡々と答えた。
「だが、開ける価値はある」
封を割る音は、ひどく軽かった。
レオンが便箋を広げると、そこには見慣れた癖で、荒いのに読みやすい字が並んでいた。
レオンへ。
お前がこの字を読んでいるなら、俺はまだ墓の下にはいない。だが、自由に動ける身でもない。
先に結論だけ言う。お前の追放は偶然じゃない。監察官ローヴァンが、片付ける必要のある数字を、一人の剣士に押しつけた結果だ。
補給は足りていない。だが、足りないのは辺境の怠慢じゃない。帝都へ戻るはずだった物資が、帳簿の上でだけ消されている。現物と記録の食い違いは、ただのミスではない。
正しい報告が一つでも残れば、中央の都合が崩れる。だから、お前は切り捨てられた。
真実は人ではなく紙にある。倉の受領帳、輸送記録、照合票を見ろ。
剣で前を切り開くだけでは足りない。まず、紙の上で奴らの逃げ道を塞げ。
まだ死んでいない副官より
最後の一行を読んだ瞬間、レオンの喉の奥が熱くなった。
死んだはずの男が生きている。その事実だけで胸が震えるのに、手紙はさらに深い場所を抉ってきた。
偶然の追放ではない。
自分が追い出されたのは、剣の失態ではなく、誰かの帳尻を守るための切り捨てだった。
「……ローヴァン」
低く漏れた声に、アリアが頷く。
「名前が出た。なら、これは噂の話じゃない。証拠の話になる」
「帝都の連中が、辺境の飯を削って都合を合わせてるってわけか」
ガルドが奥歯を噛む。
「腹が立つな。殴る相手が増えた」
「殴る前に、縛る」
アリアは短く言った。
「帳簿と現物が揃えば、中央でも逃げにくくなる。だが、その前に向こうが先回りする可能性は高い」
ミオは手紙の端を見つめ、怯えたように、それでも目を逸らさなかった。
「この人、……生きてるなら、きっとすごく無理してます」
「助けに行けないのか」
彼女の問いに、レオンは一拍置いてから答えた。
「今は無理だ。だが、放ってはおけない」
そして、崩れた城壁の夜に聞いた声を思い出す。
剣で斬れるものだけを追うな。数字で人は死ぬ。だから、お前は次に残る命を選べ。
あの時は分からなかった言葉が、今は胸の奥で静かに重い。
守るために見るべきものは、刃先の先にある。
アリアはすぐに立ち上がった。
「記録庫へ行く。受領帳、輸送票、古い照合票を一月分ずつ出させる」
「署名で通るのか」
「通らせる。通らないなら、誰が止めたかを書面で残させるだけ」
ガルドがにやりと笑う。
「やっぱり怖えな」
「怖いから、先に動くの」
ミオは小さく頷いた。
「私、薬の出入りを見ます。傷の数と薬の数は、ずっと見てきましたから」
「助かる」
レオンはそう言って、手紙を胸元へしまった。
この紙切れは、ただの密書じゃない。戦い方を変える合図だ。
要塞の記録庫は、昼に近いというのに薄暗かった。
鉄の棚に積まれた帳簿は、剣庫の武具よりずっと重そうに見える。埃と乾いたインクの匂いが鼻を刺し、革表紙の背に刻まれた年度印が、沈黙を何枚も重ねていた。
入口の書記官は、アリアの署名を見るなり顔を強張らせた。
「今は監察の封印が……」
「外すのは私だ」
アリアは一歩も引かない。
「この要塞の補給に関わる記録は、私が確認する権限を持つ。拒むなら、誰の指示かを書面で残してもらう」
書記官は口を開きかけ、何かを飲み込んだ。
その目が、一瞬だけ背後の棚へ走る。
見られて困る場所がある。
レオンは、その視線だけで十分だと思った。
最初の帳簿を机に置き、静かに表紙を開く。
数字は整っている。整っているからこそ、頁の端に残った薄い削り跡が目に刺さる。
アリアが無言で頷き、ミオが隣で息を整える。ガルドは腕を組み、誰かが次に隠れるなら引きずり出すとでも言いたげに棚を睨んだ。
レオンは指先でその削り跡をなぞる。
調査は、ここから始まる。
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